太陽と緑の道コース№14一部(柏尾谷池・黒甲越・天保池・中山大杣池・志久峠)
- 本年もよろしくお願いいたします。
- 市内最大規模のメガソーラーの建設に驚き
- 神鉄谷上駅から谷山川沿いに柏尾谷池へ
- 黒甲越を越えて天保池まで歩き
- 中山大杣池を折り返して
- 神戸で最も美しい”志久峠”へ
- 帰りは石畳の古道を”原野”まで歩く
本年もよろしくお願いいたします。
神戸電鉄の駅を基点に、新年初歩きを楽しみました。場所は丹生山系の真ん中。
実は最近知ったのですが、丹生山系にメガソーラーが計画されているようです。その場所が遠くから確認できないかな?と思いながら、点在する野池を巡るルートを選んだのですが、稜線からは視界が開けず確認できませんでした。ブログ書きながら車で県道行けばすぐ分かるだろうなと考えた。
市内最大規模のメガソーラーの建設に驚き
年末にWebサーフィンをしていて以下の記事に出くわしました。
*元記事は削除されていますので、別の記事をリンクしました
何と、裏六甲を中心に歩き始めていたところなのに、厄介なことが起こっているではないか!!
自然エネルギーが必要なことは分かるのだが「甲子園29個」も開発する必要があるのか?
遅ればせながら勉強しないといけないなと思っています。
生まれ育った場所、山が好きなので反対を表明します。
そして、反対署名をいたしました。
まだ、人数も少ないです。私も今知ったところですので、多くの地元の人は分かっていないと思います。
人目につかない裏山に、いつの間にか出来ているというのはいただけません。
神鉄谷上駅から谷山川沿いに柏尾谷池へ
駅からの取りつきは標識がないので、地図が頼りです。谷山川添いの道は兵庫カントリーへの舗装道です。アスファルト上を鯰ノ手池まで歩くのは嫌なので、途中から沢筋を選びました。
標識はありませんがトレースがあります。しばらくいくと、
物騒な案内が出てきました。イノシシの罠が設置されています。
炭焼き釜の跡、裏六甲の里山にはいたるところ残っています。
なんだろう?前方に石垣が現れました。近くで確認するとのり面を補強した石垣でした。しっかりとした道が昔はあったことが分かります。この道は、今は地図にも載っていませんので、一般ハイカーはまず通りません。この脇道の面白さがこの山域の魅力です。
立派な道に出てきました。
ここは真直ぐに、この先に柏尾谷池があるはずです。
道の下に池がありました。
渡り鳥がいましたが、近寄ると飛び立って行きました。
黒甲越を越えて天保池まで歩き
いつ来ても感じの悪い柵。
神戸市の”太陽と緑の道”の看板があるのだが、監視カメラがあり、罰金を請求とまで書いてある。恐らくモトクロスの防止策だと思うのだが、ここで疑問が”太陽と緑の道”は神戸市のホームページに掲載されている以外の道が存在しているということ?この柵の向こうはルート番号にはない道で、恐らく昔は通っていたので看板だけ残っていると思われます。
この柵をくぐらないと先には行けない。ややこしい。
この標識のルートは”太陽と緑の道”としてホームページには掲載されていないので、”太陽と緑の道”の表示を消してあります。
黒甲越の分岐。三菱雲稜クラブの地図もある。
ここは歩きやすい道です。
大日地蔵さん
稜線から屏風川、ナダレ尾山方面を眺める。
モトクロスのおじさん3台と出会う。爆音と排気ガスでややこしいメンバーですが、若者はいません。困った同世代です。が、いつも、すれ違い際に気持ち良い声で挨拶されます。しゃ-ないので、笑顔で挨拶返します。
新しくなった電波塔の横を過ぎると、
地面に横たわった”太陽と緑の道”の標識に天保池の文字を発見。脇道に入っていきます。
今回は沢筋ではなく、尾根筋のトレースを選択しました。
朽ちた標識に天保池0.5kmとあります。
この道も、昔は”太陽と緑の道”だったことが分かります。1972年当時の標識か?
この標識の様子では、天保池まで足を伸ばすハイカーは多くは居ないようです。
荒れ果てた道の両脇に、ガードレールが残っている。
天保池にも渡り鳥いました。もちろん、人はいません。ここは8月に訪れるところです。
中山大杣池を折り返して
右にコンクリートの擁壁が見えます。道は整備されていません。
薄氷が貼っていました。
モトクロスのおじさんたちのワンボックス。
池に着きました。神戸青少年公園のエリアはかなり広大です。今から歩く志久峠までの道もほとんど含まれています。
中山大杣池も人いません。
神戸で最も美しい”志久峠”へ
また、でました”太陽と緑の道”。今までに何パターンの標識があっただろうか?この道はコースNO.14 として肘曲りまで載っています。
”マムシ注意”と近畿自然歩道の看板。近畿自然歩道コース番号は39番、で”太陽と緑の道”とクロスオーバーしています。
マムシが出そうな道?
昔、往来の多い道だった面影が残っています。起伏のない、歩きやすい道で、ゆったりと森林浴できそうです。
多田繁次氏の「北神戸の山やま」の中で紹介されてる舟形光背のお地蔵さんです。「為・往来安全」の文字が彫られています。
見たところ志久峠の標識はありませんが、ここが峠です。摂津と播磨の国境でした。写真の標識には中ン峠とあります。これは先の多田繁次氏の本の中の文章をコピーしていますね。神戸一の峠と称賛されてるのは、石峯寺から始まり谷上至る路とその文化背景なども含めた評価だと思います。気持ち良い道ですので、これからも残ってほしいですね。
帰りは石畳の古道を”原野”まで歩く
原野は山田の部落名です。高級住宅街の柏尾台の下にあります。
花折山は稚子墓山とセットで登りたい山です。
所々、道幅もしっかりとした路になります。たぶん、昔はこの幅でしっかりと整備され、荷馬車も通れたのだと思います。
ここが肘曲り。昔の本を見ると給水ポイントだったようです。今日見る限りでは湧き水らしい流れは確認できませんでした。
石がゴロゴロした坂道ですが、これは石畳の名残ですね。
また出ました。”太陽と緑の道”標識。歴史があるので何パターンもあるのでしょう。
石畳。古道にふさわしい。
柏尾台の上に里山公園がありました。
手前が原野、山並はシビレ山から連なる丹生山系
神鉄箕谷駅前にある看板を見ると、また、行きたくなる所ができます。
山登りは、峠に立ってもその先の山が見えるので、また歩き出さないといけないわけです。