裏六甲26 東ノ峰 ・花折山・稚子ケ墓・岩谷
西日本にこの冬一番の寒気が届いた。裏六甲・有馬の氷瀑を見に行くには、もうン少し寒気がとどまってもらわないとかなわない。
時々雪が舞い、風もあったので近場で、今日は丹生山系の東ノ峰から花折山・稚子ケ墓山を廻り、岩谷を降りることにした。
下谷上農村歌舞伎舞台
まずは、下谷上天津彦根神社境内にある農村歌舞伎を見に寄り道。
江戸時代後期の1840年に建てられた、間口が約12m、奥行約8mの農村歌舞伎舞台です。花道の一部が反転して反(そ)り橋が出現する舞台機構を備えています。規模と舞台機構の多彩さ精巧さが評価され、国の重要有形民俗文化財に指定されています。
今も現役の歌舞伎舞台で上演会が催されています。
東ノ峰へ
看板に「里山地域における総合生態系の実証研究」研究フィールドと書いてある?隣の高級住宅地「柏尾台」の上に綺麗な里山フィールドがあるので関係があるのだろうか?
今日は沢筋を選んで歩いてみた。
沢と言っても水量があり滝が連続するような谷ではない。マーカーなどはないが谷筋なので迷うことはない。所々、倒木が行く手を阻むのがやらしい。
この写真の滝?が唯一沢らしいところ。
炭焼き釜の跡が沢山なった。昔といっても半世紀前ごろまでは、里山を地元の人が活用していたように思う。炭の搬出は谷筋から尾根の道に上げるのが良いと思うので、それらしいトレースが無いか見渡していたが。見当たらなかった。そんな訳で
沢筋の最後はガレ場と急登になり、木の枝にしがみつきながら山頂に直接這い上がった。ここは炭の搬出には使っていないだろう。
標高516m。地図には「城山」と別名が併記してある。その理由は
柏尾城址という標識で合点がいった。ネットで検索してみたが、情報にはヒットしなかったので出城や砦の類かもしれない。
昔読んだ本に、この山にクライミングエリアがあるようだ。岩壁は城郭を築くには向いているかもしれない。ただ、この山麓からは山頂が見えない。逆を言うと山頂から、下の街道の動きが分からない難点がるように思う。
樹間から見える山はこれから行く花折山か?
花折山へ
沢筋とは違い、歩きやすい道です。
うっすらと雪が残る路。今日は誰にも山では出会わなかった。静かな空間に身を置き、季節を感じることは最高の贅沢に思える。
と思っていたら、行く手にゴミの放置。
不愉快だからこのようなことは控えてほしい。
柏尾谷池。以前、寄ったときには渡り鳥が多くいたのだが、今日は何処かに移動したみたいです。
この壁の向こうに金剛童子山への道があります。
兵庫カントリークラブの脇を歩いていると、六甲山系の山並みが綺麗に見えた。真ん中が最高峰。
太陽と緑の道は左、ということは太陽と緑の道は花折山を通っていない。以前、この花折山に行くのはヤブ漕ぎをした記憶がある。今は道がしっかりと出来ています。
道標は無いが、トレースは明瞭で山頂に向けて真直ぐに行ける。
山頂にある三角点。四等三角点 点名:花折山 標高:573.81m
山名を書いた標識はなかった?
稚子ケ墓山へ
花折山から太陽と緑の道に合流したら、モトクロス道だった。
標識に注意喚起がされているということは、ハイカーとバイクは共存しましょうということらしい。どうも納得がいかない?
立派な標識が立っている。肘曲りへ
ここが肘曲り。太陽と緑の道に出るとなぜか?道標が多くなる。10m毎にあるように思える。ここまで設置しなくてもよいと思うが?道迷いの事故でもあったのか?そんなことはなさそうな道だが。
稚子ケ墓山への道も歩きやすい。
稚子墓山伝説というのは
稚児の墓は、稚児ヶ墓山山頂(596m)の少し東側にあります。羽柴秀吉の三木城攻めの際、丹生の僧兵が別所方に味方したため、全山が焼き討ちにあい、その時死んだ侍童稚子を葬ったという伝説が伝わっています。
稚子ヶ墓山の名の由来にもなっています。
ここがその墓になります。椿の樹が植えてありました。碑を見ると長く枯れていた、椿を平成元年に植えなおしたとあります。椿の花が哀れを誘います。
山頂の南側は展望が開けています。淡路島と須磨方面。
真ん中に凸凹と見える山並みが、六甲全山縦走の西の部分。須磨浦公園から宝塚まで公称56kmを歩く大会が年に何回も催されている。有名なところは神戸市主催の大会だが、それ以外に各種団体、企業などが実施している。加算すると1万人以上の人が毎年縦走していると思う。丹生縦走は距離的には半分。神戸から近く、ハイカーもほとんど出会わない、自然を満喫できる縦走ができるのだが。
ここも城址なのだ。
稚子ケ墓山も山頂標識が以前ありましたが、今日見たところ無くなっていました。
三等近くの三角点。三等三角点 点名:稚児ヶ墓 標高:596.34m
岩谷を降りる
稚子ケ墓山からの下りも歩きやすい道です。
この標識のところで、路を外れ岩谷に通じる道を降りることにした。
それにしても、古い標識は廃棄しても良いのではないだろうか。
しばらくすると、見慣れた標識が。なんだ、以前は太陽と緑の道だったのか。とはいえ、廃道になって時間がたつので、路は荒れている。倒木も多く、マーカーもほとんどない。
ほどなく、県道に出た。上の写真は、国道428から見た取付き点。
岩谷の入口にある祠。今もお祭りされている。詳しいいわれは分からない。岩谷は沢筋を降りるのか?と想像していたが、祠の下手に道があったので、そこを探っていった。
しっかりとした道で、マーカーも途切れながらも見つかる。
そして、太陽と緑の道もプレート。昔は稚子ケ墓山への最短コースだったのだろう。
古い道標も発見。左:まや山、右:おうご(淡河)だろうか?往時は行き交う人も多い街道だったのだろう。
朽ちたオート三輪。
よく見ると下草を刈っている。除草作業していなければこの道は初見ではなかなか歩けない。ありがたい。
山田の里に下りてきました。
今日歩いた山並を振り返る。
おまけ 浦商さんへ
神戸電鉄の箕谷駅まで歩こうかと思ったが、近くになる浦商さんを覗くことにした。
冷えた体にきつねうどんが染みる。卵かけご飯とセットで400円。
ちなみに、素うどん100円、おにぎり1個50円です。200円でお腹一杯になります。