兵庫100山 ”天狗の森”から千丈寺山
兵庫100山に挑戦しようと思っています。と、宣言すると後に引けなくなるので。さて、午前中にこの兵庫100山の虚空蔵山に登ったので、午後からは近くの千丈寺山に、麓に千丈寺湖(青野ダム)があるのでダムの近くにあるのかと思ったら、少し離れていました。
ネットで調べると
三田市の中心付近にある山。 ピーク付近には三田市では唯一の一等三角点(589.54m)がある。山頂の盤座(いわくら)の壁には大権現が祀られており、下青野の感神社が3月17日に祭りを行なう。山の名称にもなった「千丈寺」は明智光秀に焼かれたとされ、今は跡形も無い。
千丈寺山へは、南の天満宮から北への尾根への縦走ルートと、西の感神社から尾根へのルートなどの登山道がある。途中、高根山(362m)には鎌倉時代に青野城があったとされ、現在も石積が残る。地元では今でも城山と呼ばれている。また、山裾南にダム建設によりできた千丈寺湖(青野ダム)の命名の由来となった山でもある。
平成22年(2010年)に「新ひょうご森づくり」の里山ふれあい森づくり事業により、東の乙原口からの登山道の整備がされた。登山口には多目的広場も出来ている。
ここも明智光秀が登場します。今から行く登山道は新しく整備された道のようです。機会があれば天満宮や青野城から登りたいです。
てんぐの森多目的公園に車を駐車しました。
天狗の森の名前は天狗伝説が元です。調べると
昔六甲山に大天狗が住んでおり、唐櫃や有馬の愛宕山、天狗岩、山口の丸山(西宮市山口町)、乙原(おちばら)の千丈寺山を休み場にしていた。ある日、乙原村の吾作という親孝行の若者が屋根葺きの手伝い中突然いなくなり、いくら捜しても見つからないので、死んだものと諦め、お寺で戒名をもらい供養していた。しかし、数十年後白髪白髭、顔中毛だらけの老人が吾作の家に現れ仏壇にお参りしていて家人に見つかった。そして急に千丈寺山の方へ姿を消した。村人達は「この千丈寺山に来る、あの天狗の弟子入りをして修行しているのでは」「それで我が家が恋しくなって帰ってきたのだろう」「そういえば、吾作の若い頃の面影が何処かにあった」などと話し、この白髪の老人のことを「吾作は天狗の力で仙人になったのでは」と噂されるようになったという。
天狗岩というのもあちこちにある。天狗伝説も多いです。昔の人は何を思い、なぜ伝説を語るようになったのか、興味は尽きない。
この広場にはトイレ1つあります。
初めて見るタイプのトイレです。中も綺麗でした。
道標もしっかりとあり、道も階段が沢山整備され、歩きやすいです。
里山としても手が入っています。地元の人が整備されてるのだろうと思うと、頭が下がる。
炭焼き窯跡。生活に根差した裏山だったのでしょう。
庚申祠 尾根筋の近くにありました。
松住権現 稜線上にありました。
山頂の磐座からの眺め
ここに一等三角点がありました。
点名:千丈寺山 標高:589.54m
千丈寺大権現 山岳霊場として雨乞いが行われたのかな?
真ん中の山は大船山かな。兵庫100山なので、いつか登ります。
折角なので北千丈寺山にも寄りました。展望もなく、面白くありません。
スミレ。日本には200種以上のスミレがあるので名前は特定しません。
今日はログを午前中はジオグラフィカで、午後からはYMAPでとりました。”おつかれ山”です。すれ違ったハイカーはいづれも1組づつ居られました。
今日の2座は、いづれも2時間弱で登れる山でした。これで、兵庫100山はヤマレコの記録上23座目。