山ヤ再開

山ヤ再開

還暦を向かえて「そこに山がある」ことに気付く

兵庫100山 羽束山・甚五郎山・宰相ヶ岳

摂陽群談に「香下山」と名の見える名山です。
摂陽群談(せつようぐんだん)?
は、江戸時代に編纂された摂津国の地誌です。
香下寺(かしたじ)三田藩九鬼家の鬼門封じの寺でもありました。

今日は香下寺から反時計回りに羽束三山を巡ります。甚五郎山羽束山宰相ヶ岳の順です。

香下寺百済の僧「日羅上人」開基です。

日羅上人が羽束山にこもり、けやきの木で十一面観音像を彫った時、像から芳香が漂ったことから「香下」と名付けられました。

(と、講釈をたれましたが、香下寺の写真はありません)

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はっきりとした登山口です。

しばらく進むと、左手に

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杖が沢山ありました。これは

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八王子神社の境内になります。

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道は落ち葉も掃き清められ、整備されています。

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丁石もしっかりとあります。

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この赤い毛糸の帽子をかぶったお地蔵さんがあるところが「6丁峠」です。

この6丁峠甚五郎岳に分岐します。

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甚五郎岳の山頂は少しだけ展望があります。

一旦、6丁石の分岐に戻り、石段の参詣道を羽束山へ向かいます。

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途中にあったお地蔵さん。

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山頂まであと何メートルと表示してあると頑張れます。

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羽束神社・観音堂分岐を右に行くと

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屋根が宝形造(ほうぎょうづくり)の御堂が見えてきました。

中を覗くと、

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千手観世音菩薩が安置されてるようです。

山頂に向かうと

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鐘楼

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羽束神社がありました。

ここが、羽束山山頂 524mです。

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藍本方面の絶景が広がっています。今から行く大船山も見えます。

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こちらは六甲方面です。

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この目印から降下して、次に行きます。

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この道は参詣道ではないのか?岩も多く、落ち葉も目立ちます。昨日、雨天でしたのでスリップに注意しながら降りました。

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丁石はありませんが、しっかり案内標識があります。

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三等三角点 点名:香下村 標高:500.46m

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宰相ヶ岳 (501m)

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羽束山を望む

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展望大岩からの眺め

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香下寺への下山路で見かけたコバノミツバツツジ(イチバンツツジ

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香下寺の上にあるため池からの眺め。

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これは車で南下して羽束山を撮ってみました。

多田繁次さんの「北神戸の山やま」を見ていて、無性に行きたくなったところです。今から40年近く前の本ですので、文章にあるのどかな田園や里山風景ではないもしれませんが、この地に

二戸の農家と田んぼが息づく「花折」という地名を地図の上で発見した。花折、という美しい地名にふさわしいそこの環境に、私は桃源郷を夢に描き、その後しばしばそこを通って香下へ下り、千刈へと歩いた。

何度も通ったそうです。