山ヤ再開

山ヤ再開

還暦を向かえて「そこに山がある」ことに気付く

太陽と緑の道コース№22(藍那~大歳神社)を歩く

前27コースあるうちで、初めは一番行きにくそうなコースに思えたが、歩いてみるとアクセスが良く、道も余り荒れているところがなく楽にこなすことができました。

神鉄藍那は、車窓からの景色を見る限り山が迫り、開発の手が入ることなく取り残された感があります。いわゆる神戸の秘境。歴史を調べると、藍那源義経鵯越への進軍路の経由地として登場します。

義経は東下の鷲尾三郎の案内で藍那小の裏の藍那道(別名義経道)から藍那の村落に下りてきて、藍那の辻相談ヶ谷を通り鵯越の奇襲に向った

とありました。

以前神鉄木津駅の東にある川地磨崖仏を紹介した。誰も通らないところには施設もできないので、主要な街道が通っていたことが分かります。ここから藍那まで播磨と摂津を結ぶ街道が通っていたのです。

ohdebara.hatenablog.com

ということは、東西南北の街道が藍那で交差していたことになります。今からは想像できない。

さて、藍那駅を降りて西鈴蘭台の方面に歩くと山手に石造りの卒塔婆が見えます。様式から南北朝時代前期のものと言われております。

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また、この七本卒塔婆の反対側には、南北朝時代(永和2年(1376))建立の宝篋印塔があり、紫式部の墓(偽伝)であると言われています。

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相輪は下から、伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠で、九輪頂部に折損の痕が見えるが完存する。南北朝の後期に入った永和二年(1376)の作品

神鉄藍那駅に藍那小学校性が描いた周辺マップがあり見ると、藍那は歴史が詰まっていそうなところです。

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これを見ると藍那の辻の宝篋印塔は南北朝時代の建立と思われ和泉式部の墓と言う伝承もあるらしい。事実なら凄い場所だ。藍那は秘境というよりも隠れ里のイメージが強い。

前節が長くなりました。

神鉄藍那駅

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無人駅の改札口で変な人形が出迎えてくれた。
持っているプレートの「あいな里山公園」は近くにあるようだ。

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kobe-kaikyopark.jp

2016年5月に開園した公園で、無料の施設ではなく入園料、駐車料がいるようです。

公園のコンセプトは『里地里山文化公園』。園内には茅葺き古民家・農村舞台、棚田・畑・蓮田、竹林・樹林、草むら、ため池、小川等、里地里山の多様な自然環境が広がり、街中では見られなくなった様々な動植物が息づいています。

 里山体験をお金を払ってする所のようです。この後、フェンス沿いに園内を見渡しました。整備されたゴルフ場のような施設です。管理が行き届いていますが、里山のイメージとは外れているように見えました。"観光客"を相手に施設を維持するために国税が使われているとなると考えさせられます。何年か後に、荒廃してしまわないか?心配です。この手の公園は全国に点在しているようです。

このようにマイナスイメージを持ったのは、両サイド、フェンスに囲まれた道を延々と歩かされたためだと思います。

また、話しをコース案内に戻して。

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駅から街道を歩き、可愛い藍那小学校の校舎の前からコースはスタートします。

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鉄でできた道標を左に曲がります。

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村の道を登っていくと、

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交通量の多い県道を潜るトンネルに入ります。ここは安全を考えて利用したほうが良いです。

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藍那の町は斜面に点在する区割りの街です。駅からの近道は右の道を上ってきます。

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ここは右にルート取りです。

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古い「太陽と緑の道」の道標が残っていました。

*ここからしばらくカメラの画像がピンボケです。カメラの設定をいじったらピント調整が自動ではなくマニュアルになってしまいました。

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要所にお地蔵さんが残るコースでした。昔の街道跡です。

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コンクリートの道 歩きやすい。

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これは道標とお地蔵さんが合体しています。

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フェンスの中は「あいな里山公園」、お金を取ると管理責任が生じるのでしかたない。

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明治村のように誰も住んでいない茅葺民家。

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相談ヶ辻のゲート ここも有名な歴史スポットです。

藍那の道は鵯越を目指す義経の進軍路といわれ、多くの史実を秘めているところ。ここ相談ヶ辻は道が左右に分岐しており、この場所で、義経が進路を左にとり鵯越に出るか右にとり白川に出るか軍議を開いたと伝えられている。

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ピント合わせをして撮った路傍の花

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ゴルフ場の脇道に乗る捨てられたセダン 不法時も時間が経つと自然と馴染んでくる。

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モトクロスは近郊ハイキング道を歩くと、どこにでもいる。衝突しそうになった。

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ゴルフ場脇を歩くとロストボールに出くわす。

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でこぼこ道

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神戸線の上を歩く

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お地蔵さん

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石柱道標

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白川の里に下りてきました。道標と”かやの木”

この木は「白川の石抱きカヤ」と呼ばれています。

幹周/4. 5m、樹高/20m、樹齢/推定350年。根元に石柱(何かは不明)を抱き込んでいるのでこの名があります。

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大歳神社近くの崖

白川累層の地層」なのですが、ここは

神戸開港を目前にした江戸終わりに、21間(約40m)に渡って岩を切り取り、徳川道をつけた跡だそうです。

白川累層は凝灰岩の地層で綺麗な植物の化石が出るので昔から有名です。

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大歳神社

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ここにも巨木がクスノキですね。

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「白川の夫婦岩の案内図」興味がわいたが、これは「次回に取っておきます。

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市バス「白川台」停留所への道添いになった。毘沙門天さん

市バスの本数は多く、地下鉄名谷駅まで座って乗れました。

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