太陽と緑の道コース№2(鎌倉峡・鏑射山・旧国鉄廃線跡・松原城址)
湯ノ山(有馬温泉)関連の道を確認する意味で鎌倉峡を歩いてみることにした。JR道場はクライミングの練習で良く来ますが、鎌倉峡は歩いたことがありません。例の”太陽と緑の道”のルート#2になっています。下調べをすると、古墳や寺院や三角点、旧国鉄廃線跡まであります。
神鉄二郎駅から歩き始める
いろいろとみていると、鎌倉峡は「下り」が正解?のようですので、神鉄二郎から歩きます。
無人駅ですが、”二郎”は神戸では”いちご狩り”で有名です。
県道の交差点に”太陽と緑の道”標識があります。ここから平田配水場を目指します。
途中に旧国鉄の廃線跡が確認できました。(有馬線の新道場駅 - 有馬口駅間の廃線跡です)
しばらく行くと
40年以上前にセミナーハウス目指して歩いた記憶がよみがえってきた。
懐かしいセミナーハウスの建物が見える。施設も古くなっているので”幽霊”がでるという噂もあるようだ。
標識があるとホッとする。
ここもハイキングコースですので、多くの人が訪れるのだろうが”上級者”という断りが気になる。
この施設は何かなと思いながら、回り込むと平田配水場だった。
入口にマークの通り、非常時の給水施設がある。
青石古墳
裏六甲にも古墳があるのです。そして、遺跡もたくさん出土しています。何故かというとニュータウンの開発があったからだと言われています。
鎌倉峡
さあ、本日の目的の鎌倉峡に入ってきました。
沢の合流点。左が船坂川本流。水は澄んでおらず、沢登りをしたいとは思わない川です。
いきなりロープが設置してあります。この後、鎖、ホッチキスと何か所も登場します。
不思議なロープもぶら下がっていました。
所々ケルンも。道に迷うことはありません。足元を注意し、三点支持を守っていれば大丈夫です。
スベル石にはホッチキス(足場)もあります。
ここは虎ロープ。
さあ、ここまで降りてきて安全なルートが見つからないので思案です。左の岩は手掛かりが無いぞ!?
どうしたものか?
今更引き返すのもアホらしい。
どこかで道をロストした?
マークを見逃した?
強硬突破をするのは最終手段として。
一般的なハイキングルートですのでどこかに道があると偵察。
すぐに見つかりません。
困った末に、対岸に渡って突破できるか考えようと思い直す。
で、対岸に渡り行動していると巻き道らしい踏み跡を発見。
鎌倉峡はJR道場から上りでルート設定されているようです。下りでは取付き点がすぐに分かりませんでした。
注意書きが下がっています。事故もあるのかもしれません。
鎌倉峡の説明看板を見ると
鎌倉峡は「かもしか谷」のなまったもの
神戸にも山羊(カマシシ)が昔いたのだ?!
有馬温泉を訪れた文人や高僧たちは、競ってこの地を訪れて、奇勝景観の美を絶賛した詩歌や紀行文をものにすることが風流とした。
なるほど、風流か!?
百丈岩のルート説明が下がっていました。ここは、クライミングの練習で良く来るので今日はパス。歩いてJR道場駅を目指します。
太福寺・中野古墳
鏑射山
この祠の中にあるのは、丸い石。ご神体かな?
この山頂部には道場町鏑射山遺跡がるようです。高地性集落で、銅剣型の石剣出土が確認されています。
塩田八幡宮
塩田八幡宮は丁度、厄除けのお参り日でした。
当地では有名な厄除けのお宮さん。屋台がたくさん出ています。
松原城址・山脇延吉の顕彰碑
神鉄道場駅前にあるのが松原城跡、別名蒲公英(たんぽぽ)城跡。
松原城は、「蒲公英(たんぽぽ)城」「道場川原城」とも呼ばれ、南北朝時代に赤松氏が三田城の支城として築いたものが始めとされています。のち赤松氏の流れを引く松原氏が代々城主となり、松原氏が城を去った後、織田信長の三田城攻めの際には織田方の付城(つけじろ)となり、羽柴秀吉の軍勢が入城したとされています。
昨年末に”宅地造成”に伴う現地発掘調査の説明会があったようです。城も取り壊されマンションに変わるようです。
神戸電鉄の創始者である山脇延吉の顕彰碑が立っています。当地が出身地だったのです。
神鉄道場駅は神戸市最北端の駅だそうです。昔は道場河原という名前の駅で、乗客も多くなかった印象を持っています。今はニュータウンが出来て、立派な駅舎に立替得られイメージはだいぶ違います。