山ヤ再開

山ヤ再開

還暦を向かえて「そこに山がある」ことに気付く

兵庫100山 石戸山・岩屋山・金屋鉱山址

足利尊氏ゆかりの石龕寺(せきがんじ)をナビの目的地に設定してやってきました。突き当りに立派な門が出迎えてくれます。

ja.wikipedia.org

聖徳太子が深く帰依した毘沙門天を本尊とする。鎌倉時代から室町時代に隆盛を極める。寺号の「」とは、仏像などを安置する厨子や壁面の窪みを意味する。本堂から山上約800mに奥の院があり、その石窟が石龕寺の寺号の由来となっている。山門の金剛力士(仁王像)は、慶派の「肥後法橋定慶」によって1242年(仁治3年)に制作された仏像で国の重要文化財に指定されている。

門の近くによると仁王さんが睨みを利かせています。定慶作!とあり立ち姿が立派だったので写真に撮りました。カッコイイ。

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門の近くには、案内板があります。

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丹波の森、古戦場”も下調べをしていないので、何のことか?

とりあえず左回りで頭光嶽を目指すことにします。

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文字の多い案内板はパス。
後で、読むとちゃんと書いてありますね。観応の擾乱織田信長丹波攻略。

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門の次は、古そうな卒塔婆

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苔むした石畳。これはよさげな雰囲気です。

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境内にはいろんなものがあり、中にはお堂のように新しくなったものも。

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これは鹿よけの柵。ここから山道に変わります。

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古い石垣も残っていました。

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案内板がしかりとあります。

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奥の院には、足利将軍の屋敷跡や鐘楼堂があります。

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 先を急ぎます。

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道は整備が行き届いて歩きやすいです。

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送電線鉄塔のある頭光嶽(づこうだけ)439mに着きました。頭光嶽とは

聖徳太子毘沙門天像を求めてこの地に来られた時、この山よりまばゆい光が発してしたので一寺を建て、名付けられた。

 というところからの命名です。ここから石戸山を眺めると

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この岩稜の山かと思ってしまいますが、これは岩屋山です。この崖の下に鉱山跡があります。

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先を急ぎましょう。

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露岩が真正面に見えるところから崖を巻くように下ると、廃屋があります。

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なぜこんなところに、作りがプレハブだから昭和の廃屋。プロパンボンベがあるので生活をしていたのかな?と思った。

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少し下ったところにトラックやブルドーザがそのまま放置されている。どうやらここが鉱山跡らしい。とすると、先ほどの廃屋は鉱山の事務所のようだ。

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ネットで調べると、鉱山跡にはカオリナイトという鉱石が取れていたようだ。中国の有名な粘土の産地である江西省景徳鎮付近の高嶺(カオリン)に由来する??

景徳鎮!

そうか、磁器の材料だ。f:id:ohdebara:20200717200723j:plain

金屋鉱山跡は昭和50年代まで採掘をしていたようです。

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遠目には岩稜帯を登るのかと思っていましたが、奥のルンゼに道があるようです。

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鞍部に着くと、岩屋城堀切の跡の説明版がありました。

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下山等の案内も。

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まず、石戸山へ向かいます。

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山頂は見通しも悪く、面白くありません。

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一等三角点がありました。

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かって無線中継所があったようです。この看板を良く読むのだった!

北側に行くと、360度の展望と「丹波鉄平石」の採石跡が広がっているようです。残念。また、宿題を残してしまった。

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先ほどの、堀切の跡。戦国時代のものだろ??今も残っていることが驚く。

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岩屋山には昔、山城があったと解説が立っています。

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山頂広場。ここも採石で削られて平地になったようです。

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鎖場がこのコースで初めて出てきました。この後も、ありました。こちらは下山に使わずに上りに使うのが正解かも?

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岩場。逆回りだと、ここを登ると直登なので早いと思う。

 

今回は、ハイカーの方とはすれ違いませんでした。独りぼっちです。

石龕寺境内にはもみじが多く、毎年11月第3日曜日には「もみじ祭り」が催され護摩供養、武者行列などの行事が催され多くの参拝客で賑わうそうです。その頃にまた訪れるようにします。