兵庫100山 石戸山・岩屋山・金屋鉱山址
足利尊氏ゆかりの石龕寺(せきがんじ)をナビの目的地に設定してやってきました。突き当りに立派な門が出迎えてくれます。
聖徳太子が深く帰依した毘沙門天を本尊とする。鎌倉時代から室町時代に隆盛を極める。寺号の「龕」とは、仏像などを安置する厨子や壁面の窪みを意味する。本堂から山上約800mに奥の院があり、その石窟が石龕寺の寺号の由来となっている。山門の金剛力士像(仁王像)は、慶派の「肥後法橋定慶」によって1242年(仁治3年)に制作された仏像で国の重要文化財に指定されている。
門の近くによると仁王さんが睨みを利かせています。定慶作!とあり立ち姿が立派だったので写真に撮りました。カッコイイ。
門の近くには、案内板があります。
”丹波の森、古戦場”も下調べをしていないので、何のことか?
とりあえず左回りで頭光嶽を目指すことにします。
文字の多い案内板はパス。
後で、読むとちゃんと書いてありますね。観応の擾乱、織田信長の丹波攻略。
門の次は、古そうな卒塔婆。
苔むした石畳。これはよさげな雰囲気です。
境内にはいろんなものがあり、中にはお堂のように新しくなったものも。
これは鹿よけの柵。ここから山道に変わります。
古い石垣も残っていました。
案内板がしかりとあります。
奥の院には、足利将軍の屋敷跡や鐘楼堂があります。
先を急ぎます。
道は整備が行き届いて歩きやすいです。
送電線鉄塔のある頭光嶽(づこうだけ)439mに着きました。頭光嶽とは
というところからの命名です。ここから石戸山を眺めると
この岩稜の山かと思ってしまいますが、これは岩屋山です。この崖の下に鉱山跡があります。
先を急ぎましょう。
露岩が真正面に見えるところから崖を巻くように下ると、廃屋があります。
なぜこんなところに、作りがプレハブだから昭和の廃屋。プロパンボンベがあるので生活をしていたのかな?と思った。
少し下ったところにトラックやブルドーザがそのまま放置されている。どうやらここが鉱山跡らしい。とすると、先ほどの廃屋は鉱山の事務所のようだ。
ネットで調べると、鉱山跡にはカオリナイトという鉱石が取れていたようだ。中国の有名な粘土の産地である江西省景徳鎮付近の高嶺(カオリン)に由来する??
景徳鎮!
そうか、磁器の材料だ。
金屋鉱山跡は昭和50年代まで採掘をしていたようです。
遠目には岩稜帯を登るのかと思っていましたが、奥のルンゼに道があるようです。
鞍部に着くと、岩屋城の堀切の跡の説明版がありました。
下山等の案内も。
まず、石戸山へ向かいます。
山頂は見通しも悪く、面白くありません。
一等三角点がありました。
かって無線中継所があったようです。この看板を良く読むのだった!
北側に行くと、360度の展望と「丹波鉄平石」の採石跡が広がっているようです。残念。また、宿題を残してしまった。
先ほどの、堀切の跡。戦国時代のものだろ??今も残っていることが驚く。
岩屋山には昔、山城があったと解説が立っています。
山頂広場。ここも採石で削られて平地になったようです。
鎖場がこのコースで初めて出てきました。この後も、ありました。こちらは下山に使わずに上りに使うのが正解かも?
岩場。逆回りだと、ここを登ると直登なので早いと思う。
今回は、ハイカーの方とはすれ違いませんでした。独りぼっちです。
石龕寺境内にはもみじが多く、毎年11月第3日曜日には「もみじ祭り」が催され護摩供養、武者行列などの行事が催され多くの参拝客で賑わうそうです。その頃にまた訪れるようにします。