端谷城訪問
2020.10.15.仕事終わりに端谷城を見に行きました。これは「太陽と緑の道」コース№26(太山寺~寺谷~木幡)の寺谷にある山城跡です。何故か神戸市のイラストマップには登場しないのですが、名所としてあげてもよいと思っています。
寺谷にある案内図
この案内図には「端谷城」載っています。そして、近くにある端谷城址案内図には太陽と緑の道が載っています。先に紹介したように№26の中間にあたります。
この案内図には満福寺と併記されています。端谷城の説明も載っていました。
端谷城とは
端谷城が築かれた詳細な時期は不明ですが、城主の衣笠氏は鎌倉時代の中頃には櫨谷の荘園を治めていたと考えられます。室町時代には、赤松氏に属し応仁の乱(1467~77)などで活躍し、この功により衣笠の姓を得たと云えられています。
その後は、福中城の間嶋氏(平野町福中)などと勢力争いを続け、勢力拡大に伴い櫨谷の谷筋に池谷城、福谷城、城ケ市城、城ケ谷砦など衣笠氏一族のものと考えられる城や砦を築いています。
戦国期に入り、別所氏(三木城)が勢力をのばし、やがて東播磨の覇者となった時、端谷城もその支城の役割を果たすようになりました。
天正六年(1578)、秀吉の三木城攻めが開始され、当時の端谷城主・衣笠範影は淡河城の淡河氏、福中城の間嶋氏らとともに別所方として活躍しましたが、三木城落城後の天正8年2月25日に落城し、廃城となりました。
今日に残る遺構は、この時のものです。
調べると有名な城のようで、いろいろとネット上に資料が上がっています。これは、遺構が残っており整備もされているからだと思います。
満福寺は三ノ丸の跡
入口の石標
案内板があったが、何が書いてあるか?よく分かりません。
城郭の石垣か?と期待したが、作りが新しすぎます。
誰も人がいない様子。
お寺の鐘楼 と ゆかりのお墓 よく見ると衣笠家の墓もある。
垂水縦走コースというハイキングコースがあるようです。緑が丘から垂水駅までルートが書いてあります。あまり触手は伸びません?!
本丸を目指します
よく整備された小径が続いていました。
堀切の案内板
山城と言えば堀切。はっきりと地形的な違いを確認できます。
二ノ丸跡 東斜面に曲輪が設けられています。
ここが本丸跡地 大きな山城であったことが分かります。ボランティアの方が整備などの作業をしてくれていると思います。
二ノ丸の案内板
景色が切れ目から見ることができます。